2016年7月28日木曜日

病理検査

手術から一月後の最初の診察

ハラハラ ドキドキでもないけど 結果は pt1a 浸潤なし G2 淡明細胞癌 との事でした。

治癒完治したとの事で今後は転移の経過観察です。

移転率は30%だけど 全体の数値での30%なので私の場合は更に低いとの事でした。

とりあえず、これから海外で働く予定なので1年2回の経過観察にしてもらいました。

ですから、半年に一度2日にわけて診察検査してもらいます。

CT造影剤を1日 その後診察1日で 4日の間で診療完了です。

いやー よかった。よかった。

2016年7月1日金曜日

入院 手術 10日目

朝 通常通り 検温 血圧 血糖値チェック  どうやら血圧は 常に低い状態なので薬の服用は

やめようか相談して止める方向で進んでいった。

痛みはあるが 病院で寝ているほどではないので 今日が退院でいいのだろう。

しかし、昨日の女先生にはビビらせられた。

「退院後 傷口が裂ける場合があるので、血尿や傷口から血がでたら電話ください」・・・・・・

まじ? ちと怖くなって後で看護婦さんに聞いた「今まで 退院後 傷が開いて入院した人いる

の?」と・・・・・そしたら「私はしりません」・・・・・・きっと女先生のブラフだ。

少し安心して寝た。


さて 9:30に仲間に迎えに来てもらって 無事に退院 結果は月末・・・・ハラハラ ドキドキです。

こんな状態で病院から出される。まぁ 入院しても特段良くなる訳ではないのだけれど

2016年6月30日木曜日

入院 手術 9日目

もう 飽きた  毎日が退屈でしょうがない。

仕事は退院後1週間程度の自宅療養すればデスクワークなら可能との事だが、私の場合はハード

ワークなので1ヵ月以上休む予定です。

退院後の注意事項の紙をもらって 今日は一日なにもする事無く ボケーっと過ごす。

何故か体重が97.8kgと更に減少傾向に 多分 病院食が不味い事が原因だろう。

昨晩弟から今後について話し合いたいとの電話が来たが、まだ病理結果も出てない段階で今後は

不確定なので 最低1ヵ月後以降に話す事とし電話を切った。


2016年6月29日水曜日

入院 手術 8日目

もう 入院生活飽きてきた・・・・・・・

昨晩は突然 伸びをしたらしく 横っ腹が痛くなり 座薬を投入してしまった。しばらく眠れなくてつい

つい、旅行サイトから8月出発のバンコク往復航空券を予約してしまった・・・・・・・

往復25000円って、ついつい手が出てしまったよ。お得だったのか 無駄になるのか?病理結果

も聞かされずにこんな事していてて大丈夫なんだろうか?


朝 担当医に「どうですか?」と聞かれ 「すこぶる好調」と答えて 退院後の話をした、次回の通院

日は退院日までに決めるとの事だった。

私の気分はもう 上海に飛んでいる・・・・ 今日は 採血 検尿 そして上海静養の日程調整・・・・・

会社は肉体労働なんで完治するまでお休みする予定だが理事会やらなんやら仕事以外のボラン

ティアは待ってくれないので 調整が面倒。

あっ そうだ 抜糸するんだ。  そうそう 上海行く事で忘れていたけど 今日は抜糸だったんだぁ

痛いかな? やだな? 憂鬱だ。ドキドキしてきた。

だけども いざ呼ばれて「痛かったらごめんなさい」と学生さんっぽい先生に言われて抜いてみた

ら 全く痛くなくて 拍子抜けしました。 かえって採血の2回失敗3回目にて成功の針刺しの方が

痛かった。



お昼は カップヌードルと味噌汁を交換して頂こう。そんな もう既に退院気分のと食事が口に合わ

ないので毎日こんな感じで好きな物を食べている。

午後 担当医が 「では金曜で退院でいいですね?」と念をおしてきた。更に紹介状は誰宛に書く

のですか?と聞いてきた。

「それは 海外で万が一の場合の用なんで 宛名無しで 英語でお願いします。」とお願いした。

そんな事しながら 結局 上海の往復航空券や ハノイの往復航空券を買って時間を潰した。

(病院にPCとWI-FIを持ち込んでいます)

仲間や在住の人たちに来月以降に会いに行くことを電話で伝えた。

2016年6月28日火曜日

入院 手術 7日目

昨晩から ズキズキと腹が痛い  夜中に鎮痛剤をもらって飲んで、そのまま2時間位眠れずにゴ

ロゴロした。その際 コップをベットの上でひっくり返して おねしょ 状態になった。

布団を上に覆いかぶせて その上に横になって朝を待ち看護師さんい報告 今日シーツとマットを

交換してもらった。

それにしても一体 私の体はどうなんだろう 癌はどうなんだろう? 昨日はネットで検索してただ

ただ調べて終わった。 


朝 担当医が来て退院日を打ち合わせた。一応金曜日に退院する事の決まった。

その際 「私の腫瘍は先生の見た目では どんな種類の腫瘍ですか・?」さりげなく質問してみると

「淡明細胞癌だと思いますよ」とあっさり応えてくれた。

その後に担当医上司の先生が来た時に 上海で静養したい旨を伝えると「自己責任ですよ」と言

われ、「はい」と答えると「では英語で診療経過を書いておきますので、何かあれば現地のお医者さ

んに見せてください」と言われて 気分は早くも海外旅行・・・・・海外静養です。

一応 現地での急変に備えてAIUに電話して保険が使えるか聞いてみて使えそうなので安心した。

午後から無呼吸外来の予約があったので担当の先生にお礼方々挨拶に行ってきた。

元々はこの先生が昨年、無呼吸外来の際に念のために簡単な健康診断をしてくれたおかげで私

は血液検査の記録紙を保管していました。その血液検査の記録を前のクリニックに送ってみた所

入院の許可がおりた次第です。

そこで入院して 糖尿病 が発見! 脂肪肝を見るためのエコー検査で腎臓腫瘍(癌)発見!

んー人生は 奇跡だ! 早くてラッキー!!

ある日の病院食 基本 まずいので買い食いしてしまう。






2016年6月27日月曜日

入院 手術 6日目

昨晩 9時の消灯で横になったら右のわき腹の傷が痛みだしたので、痛み止めを飲んだ。

「明日から通常の薬はのんでいいよ」と担当医から許可はもらってるが、今日の内に薬をもらって

いたのでフライングして眠剤を飲んだおかげで、朝6時まで爆睡できた。

朝6時の看護婦さんの見回り 測定 体重87.8kg 血糖値95 血圧113/87 体温36.1℃も

う 薬いらないんじゃないかと思うほどの健康体だ。

この状態で 薬 必要なのかな?

ドレーンの液もほんの少しになった。

朝の傷の痛みは 昨日と変わらず、昨日は咳と痰に少しだけ悩まされた。

咳をするたび「ズキン」と響く そんなに酷い訳ではないし 頑張れば 我慢できそうな咳です。

先生が来てドレーンを抜くことが決定しました。そして退院予定についての説明は今週末には退院

出来そうですとの事。上海で静養できれば最高だけれど 多分 飛行機に乗ったら お腹が・・・・・

耐えられないよなぁと考えつつ、大阪からフェリーならどうだろうか?妄想が膨らむ。

ドレーンを診療室で外してもらって杖代わりの点滴棒を返却し、痛め止めを飲んで歩行訓練。

今日最大のテーマ 売店でのアイスの買い食い。このために昨日から色々考えていた。

看護師から水を1日1400ccは飲んでと言われたが中々飲めないので、ガリガリ君を食べよう。

ほぼ水分だからきっといいはず・・・・・・すごく自分勝手な解釈だが ひっそりとエレベーターに乗っ

て向かう事にする。

アイスクリーム ロールケーキ スナック菓子、ガリガリ君は売っておらず この3品を購入。

直ぐに食べきる。 これでは痩せるハズは無いと確信する。




2016年6月26日日曜日

入院 手術 5日目

朝 看護師さんが 足の袋萩のマッサージ機を外してくれた。(エコノミー症候群防止の機器)足が

蒸れて昨日からかゆくてたまんなかった。多分麻酔が切れた為だと思う。

そして ベットの脇の柵を外して ベットの横に座れるようにしてくれた。

看護師さんが帰った後に 初めて立った(最初は看護師付添でなければ立てない)

その後 担当医が来て 「どうですか?」 との質問に 良いと応える。

今日から 歩行訓練開始 及び尿道の管を外してくれる事が決まった。

もう それだけでうれしい。

管をは外すと直ぐに尿意が・・・・・ 急いで便器に行くと 少量だけ小便が・・・・血の色が・・・・・

慌てて看護師さんに見せたが これは手術したせいです。この色ならコップに入れて計量用のバケ

ツに入れてくださいとの事。更に覚悟をしていた激痛が・・・・・・・・・・無い 事だった。

前回 全身麻酔をしたときは、術後残尿感が半端なくその日の内に外してもらって トイレで20cc

程度の小便を出した後に激痛がチンチンに襲い掛かって数日喘ぎながら小便を経験した覚えがあ

ったのだが今回は全くなかった。

また、今までの(Tじたい?)下着では 毎回暑い病室で暑さを逃がすためか ベットの中ではチン

チン丸出し状態で 実に恥ずかしい恰好をしていたので 常にカーテンを閉めていて ただでさえ

暇なのにストレスが爆発しそうになっていたが

歩行訓練開始になったら 売店でアイスやお菓子を買おう等 大した食欲はないが 既に色々やる

ことを妄想していた。


午後からは便も出たし、歩行は出来た。調子に乗って自販機まで買い物行くも 見つかって今日は

病室内のみ歩行可能です。 怒られた。

予定では今週くらいには退院。 でも 咳をしても笑っても お腹が痛い状況でどうやって家で生活

しようか? ネット情報では大丈夫らしいけど・・・


そういえば 術後 ブログで見た文章を基に「先生 私の癌 どんな感じですか?G1とかG2と

か?」と聞いたが 先生はそれは検査結果がでるまで判りませんだった。

早く 検査結果知りたいなぁ・・

まぁ 当たり前ですが・・・・・

夕食は結構 食べれるようになった。 おかずは全部 おかゆは7割まで食べれた。

 



入院 手術 4日目

今日から流動食 特に お腹は減って居なかったはずなのに、退屈な日常からの脱出の為かウキ

ウキしている。

朝 熱を計る 36℃ そして背中の麻酔のチューブが外される。

船酔い 痛みは無くなっていたのだが、チューブを外されてからは痛みがましてきた。

お昼の流動食の時間には すっかり痛みが出ていたようだ。

急いで 薬を飲んでみたが とにかく 体が痛い  ご飯を食べても痛い、笑っても痛い、咳などもっ

ての他だ。

でも 多分 確実に良くはなっているのだろう。

麻酔が切れてからは尿道にも違和感が出てきて 尿意が半端ではない。

あああああ なんだか 憂鬱になる。 こんな時に家族や友人が付添でいてくれたら楽なのに・・

でも ほぼすっぽんぽんの姿だけは見られたくもない。

4日目は 術後一番 憂鬱な日であった。希望は 明日から歩行訓練開始できる予定?

入院 手術 3日目

朝 普通に目覚めた。

今日は個室から4人部屋に移される。病院の入院患者は総じて静かで 4人部屋でも静かであ

る。

また 14日以内の退院が圧倒的に多く ボスキャラの存在も無く 過ごしやすいのが特徴だ。

微熱と軽い船酔い   そい言えば 手術日から 今日まで何も 飲み食いしていなかった。

何度も聞かれた際 「別にいいです」と言ったのもあるが お腹も空かなきゃあ 喉も渇かない。

しかし おならも出ないので とりあえず 水から飲むことにした。

すると腸は動いたらしく 「じゃあ 明日から流動食にしましょう」と言われた。

9時前後 教授回診が来た。 にこにこしながら「今回 見える部分は綺麗にとれましたよ」と言って

くれた。(私のオペは教授がしたらしい。だからこそ5時間が3時間で終わったようだ)

夕方 以前の病室にいた。

前居た人は 全員居なかった。 新しい患者さんに挨拶する事も無く 病室で一夜を過ごした。

入院 手術 2日目

熱は37-38度前後をうろうろしている。

個室は快適ですが 付添人が誰もいないので 何をするにも不自由で結局なにもする事はない。

朝 先生には「手術では 腫瘍及びその周辺の組織を取り除けました」と聞かされた。

安心感より 腹を切った事への恐怖が大きく そしてブログの読みすぎで、とにかく 検査結果でな

けりゃ いいも 悪いもわかんないじゃん?と思いながら まだ続く 船酔いと戦っていた。

びっくりしたのは どこにも痛みは感じないことだ。

どうやら 麻酔がばっちり効いているようだ。

船酔い以外は 特に苦痛はなく、 いや あと一つあるとすれば 寝たままの状態で付添人がいな

いと何もできない事くらいだ。そういう意味では心配していたことは何も起きない。

2日目も順調に過ぎて行った。

入院 手術 当日

朝8時前に友人が付添の為に病院にやって来た。

「とにかく、手術が終わったら帰っていいし、看病とかしなくても大丈夫だから」と言いながらも内心

は、「手術したくないとー」との思いや、尿管の残尿感や痛みの恐怖(以前味わった)と未知なる恐

怖(いろんなブログの見過ぎで 術後の苦痛ばかり考えていた)


8時過ぎに看護師さんが迎えにきてくれたので3人で4階の病棟から2階の手術室へ向かった。

11部屋もの手術室があり、朝一番の手術と言うこともあり 中は静まり返っていたが、静粛の中に

も手術室10号室には朝から何人かが作業をしていた。 


あっ ここだな・・・・と思った通り10号室に看護師さんと二人で入り 名前を確認後 手術代の上に

乗った。何とも逃げ出したいけど無理だし・・・・・・「もう まな板の上の鯉なんだ」と半分 やけくそに

なった。

名前を再確認 臓器を再確認してから 麻酔作業がはじまった。 まずは背中をまるめ麻酔の為の

チューブを入れてもらう。その後全身ますをする  3・2・1・・・・・・」


名前を呼ばれて 目が覚めてくると移動中だった。

実際は手術室で目が覚めていたのだろうが・・・・  個室に移動するまでに「船酔い」に似た感覚が

あった。 傷の痛みよりも何よりも 船酔いだった。

吐きたくても 何も出ないし、それがきつかったが、 傷口の痛みや尿の残尿感は何も無く 若干の

熱があった。看護婦さんが用意してくれた凍り枕がこんなに気持ちいいとは思わなかった。

付添の友人は「3時間で終わったって、手術は成功だって」と言ってくれた。

予定は5時間だったので 早いなぁと 思った。ダイエットが良かったのかなぁ?

まぁ とにかく一人になりたくて 付添の友人には直ぐに帰ってもらった。


2016年6月21日火曜日

入院2日目 手術前日

昨日から尿を貯めているのだが、 タンクがすでに満杯に近いので看護婦さんに新しいタンクを用

意していただいた。

朝8:30 採血をして 9時頃 先生の回診です。ぞろぞろと若い学生を引き連れての回診です。

小声で昨日術前説明した若い医師が「ゴニョゴニョ」小声で先生に説明する。「では 明日がんばり

ましょう」偉そうな先生に言われて「はい」と答える。その後 看護婦さんに腹の毛を剃ってください

と言われ 自分で風呂へ行き剃る。「下の毛もと言われて剃ってください」と言われ沿ってから病室

で確認 小学生以来のパイパン姿、看護師さんにチェックされ 剃り残

しを指摘され 再度 自分で剃る。

10時 点滴を打ちにきた。これは明日の手術までするらしい、2回針を刺したが・・・・新しい看護師

さんがやってきて1回で上手に針を刺してくれた。ソルデム3Aと書かれていた。

午後から 麻酔の先生や看護師さんがやってきて 手術時の説明(麻酔や手術に向かう際の衣類

についての説明があった。

最後に担当の先生が 学生を引き連れてやってきた。一応挨拶を交わしたが、不安になった。

何故なら 恩師のこの大学出身の教授が、肺がんで倒れたとき「いいか 絶対 大学病院で腹キル

ナよ、実験材料にされるぞ、これは俺の遺言だ」と言っていたのを再度思い起こさせられる出来事

だった。

2016年6月20日月曜日

入院

昨日は「はい さようなら、生きてたら又遊ぼうね」等と辛口の激励を頂きながら 友人と焼肉を食

べた。

「病院そばの喫茶店のカレーは美味い、残念 もう食べれないんだぁ」等と更にからかわれたの

で、今日は朝から その喫茶店に出向いたが モーニングしかやっていなくて カレーは食べれな

かった。

悔しいのでお昼に再度チャレンジして マイルドカレーとヨーグルトを注文した。噂どおりの辛いカレ

ーで思わず「どこがマイルドなんじゃい?」と言いたくなった。

13:00前に入退院受付を訪れた。 実家の連絡先が気にいらなくて上海に行くのでそこの住所に

変更したいと嘘ぶるが 相手にされず「日本の連絡取れる住所にしてください」と言われ保証人の

友人の住所に変更してみた。当然「友人の許可は取ってありますか?」と尋ねられた。

「はい」とりあえず言ってみたらすんなりその後は何も言われることなく淡々と住所を変更してくれ

た。

ナースステーションに行き看護婦長が出てきたので お土産を渡すとすんなり拒否された、しょうが

ないので明日 内科の係りつけの医師に渡すことにした。

まず最初に24時間小便を貯める作業をする事となった。

その後、紙おむつ等の手術後の必要な品物を売店で購入して戻ってくると、術前の説明が私一人

で肉親・友人誰も来ない事を再度確認した後で、「ではこれから説明してもいいですか」と聞いてき

た。

断る理由もないので「いいですよ」入院後わずか数時間後の出来事。

事前にネットで調べた情報通りの説明を受けたが、若い先生が説明をしたので、最後に手術は誰

が行うのかを尋ねると、ベテランの違う先生が行うとの事で安心した。
(どう見ても 20代の先生なので 素直に拒否感があった)

更に術後 直ぐに上海で静養したい旨を伝えたが 万が一の場合はどうするのか?等々 散々説

教レベルの小言を言われた。(でも 行くもん・・・今の所)

又 あくまで癌疑いとの事で まだ癌は確定していない状態であるとの確認をして書類にサインし

た。

後 うれしい事は 手術前は4人部屋だが、術後は少しの間 個室に移るらしい。

4人部屋では癌患者さんや前に切腹手術したから 散々 「痛いぞ」と脅され 更に びくびくしてい

る。

明日は 朝8:30に採血の予定表をもらって 今日は終わりそうです。

2016年6月19日日曜日

いよいよ 入院

先週 糖尿病で入院していた病院を退院して地元に帰ってきました。

いよいよ 明日から入院です。10時からの入院予定でしたが、患者さんの退院予定時間が遅くな

り11時以降の入院でお願いしますとの電話が来たので、それならば午後から入院して 明日の午

前中は簡単な雑務をする事にしました。



結局 大衆は88.7kgで退院できたが、今日現在 既に90kgオーバー・・・・・・・・・

我ながら あ き れ る 状 態  です。

今日も友人と焼肉パーティーです。

ネット情報を鵜呑みにしているので、術後の痛みの恐怖と合併症のイレウスが心配でしょうがない

です。

近くにいる癌を克服したした人や死んだ人の遺族に さりげなく術後について聞くと、大丈夫だよと

言うけれど 開腹手術ではなく 腹腔鏡手術だったり、「子供の出産で帝王切開した時と比べれば

何ともない」と比較しようも無い話で 今 現在も正直 手術はしたくない。

唯一の希望は 海外でのんびり静養する事 しかしながら 果たして 退院後 直ぐに動けるのか

お医者さんに 何を言われても 行くと今時点では心の中では思っている。 

だって 安心して休めるのは 家よりも友人の家なんだもん。

手術の付添は たまたま 会社が休みの友人が居たので急遽 お願いしました。

準備は完了  でも 未だに気持ちの準備は ズブズブに未完了状態です。

2016年6月11日土曜日

もうすぐ退院

やっと 体重も90kgを切れました。

看護婦さんも医院長も 使命を果たした感 いっぱいで 祝福してくれます。

まだまだ BMIは30を超えていますが・・・・・・・

やっと手術できそうます。(絶対 痩せる必要はないらしいのだが・・・)

いよいよ 再来週には入院 手術です。

今頃になって 何度か見た 他人のブログを再度見て 素直に 「手術は嫌だ」 と小学生並みの

拒否反応を感じます。 

このまま手術は止めて もう少し様子を見た方が・・・・・まだ小さいし 100%悪性ではないかも

だし、術後の腸閉塞等の合併症が怖い・術後の痛いのが怖い 

まるで だだをこねる子供ような気持ちです。

病院では なんてことないような顔して、「おう 来週退院してきて 再来週手術だよ」なんて平気な

風に言ってますが、毎日 毎日 他人のブログを何度も何度も見て 術後の痛みについて考えます

とにかく 気分はバンジージャンプを飛ぶ前の芸人のような気分が日々増大してきます。


2016年6月3日金曜日

嬉しい事が・・・・でも現実は・・・・

今日 上海の友人からWECHATを使って連絡が来た。

友人「手術は いつですか?」  私を心配してくれてのチャットです。

私 「〇月〇日です。 静養に上海の家か海南島の別荘で過ごしたい・・・・」

友人「いいよ」

ラッキーな1日だった。

後は 手術して退院後には 海外でゆっくり静養が出来ます。

これが 嬉し事です。

でも静養した後は 仕事を探します・・・・・・・(実は現在 無職・・・・・)

てか 今いる病院はネットが使える環境なので 就職情報を検索して見ているのだけれど なんか

まともな職には就職できそうもないかもしれません。

良くて派遣かな? まぁ とりあえずは生活できそうだけれど 老後を考えると少し不安になります。

(てか 癌になってまともに老後長生きする前提で物事を考えている)

癌で退職して その後 ちゃんとした会社に就職できた人いるのかなぁ?

きっと現実は厳しいんだろうなぁ~   あーあ やだやだ



2016年5月29日日曜日

CT画像 腎臓の腫瘍

今年の1月撮影のCT画像です。

ふと 一体 自分の腫瘍はどうなってんだろうと考えて 色々なHPを覗いてみましたが 画像があ

んまりなかったので、他との比較ができません。参考までに載せました。

自分なりに約2週間後に迫った手術に向けて 発見から4ヵ月以上が経過しているので腫瘍がどこ

まで大きくなったのか?今 どういった状況なんだろうか?少し気になってきました。

ネットで調べたら どうも1年間でも4.6ミリ程度しか大きくならないし、腫瘍の位置も下の方で部分

切除なんで結構安心しています。

でも 今回 色々見たけど きれいに映っている腫瘍は少ないのいので 思い切って「えい!」・・・

とりあえず、私のようにCT画像を比較したい人の為に(そんな人いるのかな?) 万が一誰かの役

に立つかもしれないんで一応 載せてみますね。 



 

これは何なんだろうか?腫瘍が3cmって意味だろうか?良く判らん

左下突き出した膨らみが腫瘍かな?



はっきり見えます!

2016年5月28日土曜日

実は・・・・

現在体重94kg 少し戻ってきましたが、先週よりはまだ太っています。

今回、外泊を終えて戻って来た時には流石に体重が4kgも増えたことを正直に病院に報告でき

ずに ひたすら過小申告しました。

ようやく本日 過少申告分を是正できました。

これから約2週間で4kg以上の減量を行い90kgを切ってから手術を行います。

 現在 入院中の病院は なんとWI-FIが使える環境があるので24時間ネット三昧な状況で 暇さ

えあれば「腎臓癌」で検索して 色々なブログや大学等のページを読み漁っています。

 でも 欲しい情報や裏技なんかは載っていなくて どこのページも同じようなものです。

やはりネットの匿名性は万全ではなく 何か 良くない事 を書くことで 炎上さらには特定につなが

る事から なかなか書けないのでしょう。私も当然 特定される部分はオブラートに包ませていただ

きます。

 手術日が近づいて来て色々思ったり 気になったりした事 を記録しておきます。

①開腹手術と言ったけど ついでに脂肪もとるから痩せるの?

 今 入院している病院の先生から 「手術すると脂肪も取るから痩せれるね」と言われたのだが
 はたして本当だろうか?

②入院日数は?

 ブログや知人の話なんかを聞くと7日から1ヵ月位と聞くけれど実際にはどうなんだろう?

③手術日付添人が必要との事ですが そんなに危険な手術なの?

 ネットで探しても 手術中に亡くなった話はないし、医療事故でも見つからない

④退院後はどれ位で仕事に復帰しなくてはいけないの?

 肉体労働の仕事なので 完全に治ってから働きたい。それまで友人の家で療養したい。
 (可能なのかな?)

⑤一人で入退院を含めて行いたいけど

 一応 保証人と当日の付添人は友人にお願いしたが、それ以外は誰も来ない予定
 はたして 無事に退院できるのだろうか?

⑥今 腫瘍はどうなってるの?

 1月に3cm位の腫瘍は果たして今週のCTで成長しているのだろうか?もともと初期だからね

 と言う事で先延ばしにしていた手術ですが 自分の判断は間違っていたのか?

とりあえず 今 思い出したことはこんな所 


2016年5月25日水曜日

CT無事終了

やっとCTの検査が終わりました。

15時予約だったのに13時に病院へ行きました。

泌尿器科の看護婦さんに 手術時の付添人がようやく決まった事を報告して その後CT室へ行き

ました。

CT室では「長くお待ちいただきますがよろしいですか?」と聞かれたが 実際には早めにCTの

検査を受けることができました。

まずは2枚撮影して その後造影剤を入れてから3枚撮影しました。

大きくなったのかなぁ? 多少の不安はありますが 自分は初期の腎臓癌だと思っているので不安

は全く感じていません。

その後 今入院している病院に戻って 体重計に乗ってびっくり   また 4kg 増えていた・・・・・

わずか4日の外泊で 4kgって・・・・・・・

病院にはさすがに本当の体重は申告できず 嘘の申告をしてしまいました。

嘘の修正もあるので、今日からまた 過酷な減量がはじまります。

2016年5月18日水曜日

血糖値が上がってきた

退院後 薬を飲んだり のまなかったりしていた事もあり 太って病院に戻ってきたのだが、血圧 血糖値も上昇していた。

入院後 順調に体重は減少傾向にあり血圧も直ぐに標準に戻ったのだが、血糖値が少し上がったようだ ボグリボーズが0.2から0.3に上がった。

来週CTの造影剤検査があるので 数日前からボグリボーズの服用は止めないといけない。
前回 この薬を飲んでいたせいで CTが受けられなかった・・・・

しかしながら 血糖値が上昇と言う事は確実に糖尿病が悪化なんだろうか?

来月の手術が無事終われば 仕事を辞めて新しい事業を始めようと考えているのに・・・・

4月の退院時も体調及び数値はとてと良く  しかしながら これは薬のでいなのかな?

新しい生活では 薬の服用は難しいかもしれない状況においこまれそうなのに・・・・


今後は糖尿 腎臓がん 不安要素が満載なのに 今までの生活を捨てて 新し事を始めるなんて・・・

決して自暴自棄ではないのだが 今後については少し葛藤中でもある

2016年5月16日月曜日

ダイエット入院3日目

ビクトーザのおかげか 空腹は耐えれるた。2日間で約3kg痩せました(服装の違いもあるが・・)

毎日の食事は以前と同じ1160kcalで今の所は耐えられる・・・・・でも1ヵ月も耐えられるのだろうか・・・

病院は1月から入院しているので、看護婦さんから医院長まですっかり仲良くさせていただいています。
今回の入院で看護婦さんからは

「地元での入院まではしっかりと減量させて手術には万全の状態にします」

との心強い激励を受けました。

医院長も

「しっかり がんばりましょう」

と、同じく激励されて なんだか家にいるより心地よいです。

明日からはスポーツクラブに通って更なる運動によるダイエット そして来週は地元に帰ってCT検査です。

今日はレントゲンをしました。 レントゲンの先生に「何故 毎回入院の度にレントゲンするのか?」と尋ねたら
レントゲンの先生
「入院して万が一 肺炎等でお亡くなりになった場合 病院に過失がないかを含めた保険のようなもの」と話してくれたので これで毎回 レントゲンをとるのかが理解できた。



2016年5月14日土曜日

再びダイエット入院

体重98.8kg わずか2週間で6.8kgのリバウンドでした。


今日の血圧も146/98となかなかの数字でした。

朝9:00に再入院しました。
前から居る患者さんと近況報告を交わして 看護婦さんに挨拶して 心電図・便・尿・採血を行いました。

これから1ヵ月 癌手術までの間 ダイエットして血圧の管理を徹底して6月の手術に臨みます。

目標 80kg台 できれば85kgまで落としたい所だが・・・・・・

病院の環境は 冬から春 そして初夏に移りつつあり 季節的には最高にいい感じだが はたして1ヵ月 耐えられるかな? 

今まで 頑張れたんだから 大丈夫な気もするが・・・・・

明後日まで 自主トレして 火曜日からスポーツクラブに行こう。


2016年5月6日金曜日

手術日決定

今日は麻酔科の予約でした。
前回26日には5月下旬のCT撮影後に手術日が決まると言っていましたが 何故か今日 

「6月下旬に手術にしますので大丈夫ですか?」と先生に言われて
「はい」と返事をしてから麻酔科の診察を受けた。

その後 再度 手術について説明があったのだが・・・・

先生  「では、手術前の説明と手術日にご家族等と一緒に・・・・」
私   「家族とは疎遠なので無理です」とすかさず断りました・・・・

先生  「では 説明はいいとして、手術日の付き添いに会社の方や友達はいませんか?」
私   「それは 万が一の場合の判断ですよね?多分 そんな責任ある役をする
     友人はいません」
     「もし 誰も居ない場合手術が受けられない場合は 受けません」

きっぱり言ってみました。

先生  「んんんん では婦長に確認します」と言って婦長に電話して 相談しています。

結果的には やはり 誰か居ないと難しいようですが、当日誰もつかなくても 最悪 何かあった時に連絡が取れる人は必要との事でした。

後は血圧の薬飲み忘れて 178/110と 少し高めで 怒られた。 私は自力では管理出来ないダメダメなので 再度 入院して管理しますと言ったら 先生は呆れながらも納得してくれた。

その後 手術入院について看護婦さんから説明を受けて 再度 入院日の付き添いについて 誰か居ないのか聞かれ 5月下旬に再度 病院に受診に来たとき、誰も付添が居ない場合 相談すると約束させられた。

午後に 知人に電話して 無理やり 入院日に付き添いをお願いし 何とか同意を得た。


2016年5月2日月曜日

せっかく診察に行ったのに

4月26日 地元の大学病院に行ってきた

二月の診察時より 体重も93kgと 10kg程度の減量も成功して 糖尿の数値も良いし 無呼吸も改善で 体調は良い。

10時の診察予約だったが、朝8時過ぎには受付を済また。
だが 混み合っていたこともあり10時半過ぎに診察室に呼ばれた。

私  「よろしく お願いします」
先生はパソコンの診療カルテをのぞき込んで
 「はい えーと 糖尿なんですね、薬は飲んでないですよね」
私  「いいえ 飲んでますよ 昨日までは入院してました」
先生 「え・・・ 何のんでるの?」
私  「糖尿の薬ですけど・・・」
先生 「いやー じゃあ今日はCT無理だわ。あの薬飲むと造影剤使えないんだよ」
    「一旦 外出て他の診察室から呼ばれるから そこで予約し直して」


こんな感じで あっけなく 5月の下旬に再度CT検査となりました。
そして その後手術日が決まるとの説明でした。
更にその後 麻酔科の受診もあるとの事ででした。
面倒だから 一緒の日にしてくださいとお願いしましたが 
「同じ日は無理」
と言われて じゃあ早めの日に希望して五月上旬に決まりました。
でも 前回の予約の時に糖尿の薬飲んでいるのに言われなかったけど・・・・・・

まぁ 初期だからこんなもんか?


2016年4月23日土曜日

相変わらず無呼吸は治らない

体重は94kg・・・・明後日の退院までにはギリギリ93kg台には落ち着きそうですが、退院後の爆食いの予感が・・・・・・

さて、元々の治療目的でもあった「睡眠時無呼吸症候群の完治によるCPAPの機械を使用しなくても生活できるようにする」との目標であったダイエット入院でしたが、腎臓癌やらで一旦「手術を受けるためのダイエットによる糖尿病の治療」に変更になっていましたが、4月の初めに歯科を受診した所、「遠くからわざわざ来たと」先生に珍しがって頂き 色々なお話し(これまでの経過)をする事で無呼吸改善の為の 口マウス を作成してくれました。

どうやら私の舌は太っているらしく 常に口が少し開いていて空気が漏れている状態との事
寝ているときも 奥歯を強く食いしばっているので 肩こりもしているそうです。
また 口の中の左右の頬には その際に出来たと思われる歯形の線がくっきり映っているそうです。

マウスを作っていただいて 今の病院で早速 マウスを装着した状態でSASの簡易検査をしていただきました。
結果・・・・・・・相変わらず 重度の睡眠時無呼吸症候群でしたが 肩こりは治っていました。
後10kg痩せて・・・・・もう一度 SASの検査をしてみたいと思います。

あと 歯科で「あいうべ体操」も教えていただいて 毎回はできていませんが 時たま 体操しています。

それと今 考えているのは いっそCPAPを海外から直輸入でもしようかと・・・・・・
入院中はいいけれど 今後 通院とか色々考えると これ以上の医療費の出費は厳しいので アメリカからネットる通販で購入しようかと・・・・ 日本の代行業者だと十何万円と高額ですがアメリカのサイトをgoogle翻訳を使いながら見ていると五万円前後で 買えそうでした。 今まで10年以上の使用で 医療費だけでも何十万も自費で支払ってきた事を考えると購入も一つの手ではないだろうかと考えます。

いずれにせよ しばらくは マウスと体操 そしてダイエットの3つを頑張って無呼吸とはそろそろお別れしたいと思うのでした。  あっ これ 腎臓癌の記録だった・・・・・・

2016年4月17日日曜日

痩せない

腎臓癌の忘備録なのに なんだかダイエット記録になっている。
今日現在 94.2kg 少し痩せたが 多分 十分肥満である。
もう再来週には退院です。
26日には地元の大学病院で診察&CT 27日には 会議と上海からお見舞いがてら遊びに来る友人のアテンドをして 少し忙しい予定です。

それまで 入院は平日は毎日スポーツクラブで運動して 土日月祝は病院で監禁状態か天気が良ければウォーキングです。 おとといから 1日1160Kcalの食事なのに 相変わらず体重は減らない、病院では下剤も処方されるから毎日 多少の便は出ているのだけれども全くもう・・・・・・・・

今日は天気も良くなくて病院内で監禁状態で朝から寝たり TV見たりの毎日で 他人からすれば羨ましい事だが 既に40日以上の入院だと暇でしょうがない。(特に 痛い・辛い訳でも無いので)

さて 私は貧乏人なので病室は個室ではなく大部屋に居る、1月からの入退院なので既に古株で一番長くこの病院に居る(何度も入退院を繰り返す お年寄りを除く・・) そこには様々な患者がいるのだが、相部屋ならではの問題が発生している。

①寝息(いびき)     これはかなり大変だ すごく気になるし 文句を言っても 直せない。

②携帯電話        これは注意すればいいだけの事だが、小心者の私には相手に直接
                文句を言うことができない

③挨拶が出来ない   朝 「おはよう」と言えない 患者同士がいる  
               私の病室にも一人いて挨拶はしない関係が続いている人が一人いる。
               看護婦さんにも「ありがとう」が言えない。

④夜七時に消灯     夜9時の消灯時間なんだけど おじいちゃんは 毎日昼も寝てるにも
               かかわらず、7時には「眠い眠い」と言って病室の電気を消す。
               流石に これには参った・・・

まぁ 集団生活では我慢は必要なんだけれど これくらい我慢しないと・・・これも修練だと考えて残り8日間 ダイエットしてみます。

2016年4月9日土曜日

少し変われそう

現在 96.5kg 痩せなくなってきてしまった。
あと2週間で退院だが、とても90kgを切れる自信はない、今週は少し日常生活の中で変化が出てきた。

先週から歯科にも通っているのだが そこの医院長は私が無呼吸の症状があることを告げると虫歯より無呼吸に興味があって私にマウスピースを勧めてきた。
これでC-PAPが不要になるのなら安いもんだと マウスピースの作成をお願いしたが、口の中を見て、「あっ かみ合わせも悪いし、歯ぎしりも・・・・・これじゃあ 無呼吸になるわ」と言われた。
①舌が太って ノドチンコが見えない
②歯ぎしりがすごいので夜の眠りが浅い
③万年 肩こりは 歯のかみ合わせが原因かも
④口が常に少し開いていてそこから空気が漏れる。

等々 虫歯もやるけど先にこちらの改善を・・・・

早速 マウスピースを作成してもらって 「あいうべ体操」なる体操を教えてもらって舌を鍛え 唾液を多く出す訓練を始めた。
マウスをする事により舌の先が常に上の歯に当たっていて唾液が多くでている感覚を覚えた。
又、月曜日に作成して木曜日から急激に食事の時間が長くなってきた。
通常10分(ゆっくり食べて)で平らげていたものが、20分以上もかかり多少食事を残すようにもなってきた。
感動・・・・・・なんだかこの先、痩せられるような気がしてきた。
土曜日は無呼吸の検査を行ってマウスを付けると無呼吸が改善されるかチェックもする。

癌予防の為には 食事をゆっくりする 大事ではあるが今まで守ってきたことはなかったが マウスのおかげで何とかクリアーできそうだ。

また これで肥満も解消できれば それこそ 糖尿も改善されるかも?

なんせ 昨年の6月頃は94kgだったのだ。 わずか9ヵ月で19kgも太れば 癌になっても不思議でもないかもしれない。

さあ 退院までの残り がんばろう

2016年4月3日日曜日

結局

結局 海外旅行は取りやめ・・・・
理由は ハノイの友人に「治ったら おいでよ」と言われた事に尽きる。

4月2日現在約、体重は97.5kg 着実に体重は下がってきているが、106cmのお腹では手術は難しいのかな? 更に糖尿病だし 高血圧・無呼吸だし・・・・・

そうそう無呼吸だけど 昨日 病院の近くの歯科医院に歯石でも除去しようか予約して受診したら 虫歯2本と歯周病を発見、 さらに無呼吸を治療する為のアドバイス、「あいうべ体操」そしてマウスを作りましょうって話になり なんだかラッキーな展開になった。
かなり口の悪い医院長は「うーん 歯周病だね、本当は副院長が専門なんだけど 無呼吸がおもしろそうだから、あなたは私が診るよ」との事、なんなんだ?その面白そうって・・・・・・
そして何故か昨日は 治療は後回しで 歯間ブラシの使い方、歯のかみ合わせを調べたり 唇を閉じて鼻呼吸するように指導されたり 「あなたの舌は太ってる」と言われ、その証拠に舌の脇に歯の跡が残っている、更に舌の脂肪でノドチンコが見えないと言われ妙に納得したり 最後は「あいうべ体操」の指導をされて結局 虫歯の治療は何もしませんでした。 こんな歯医者さんは初めてだったのでちょっと感動。次回の受信が楽しみ・・

さて腎臓の方はと言っても 血液検査もしてないし、特に自覚症状がないままの経過観察中です。
4月26日の大学病院での受診まで 少しドキドキだけど まだ 手術したくないような 早くしてほしいような 複雑なのか不安定なのか  周りは当然 「早く 手術しなさい」と言うけれど
 
あー あと約 3週間 た い く つ は続く

2016年3月28日月曜日

まもなく4月になるのに・・・・

もうすぐ4週間 106kgの体重は うれしい事に1週間で100kg切ったのも束の間で、4日間の外泊で105kgに戻ってしまって 先生も自分もあきれはててしまいました。
(こんなに体重の増減が激しいから 腎臓癌になるんだろうな と思ってしまいました)
もう 退院日まで外泊しないぞ!心に誓って1週間 やっと99kgまで体重はおちましたが、今日現在98.6kgと微減が続く状況で4月25日の退院までには20kg減量は難しそうです。
1日1200カロリーでの食生活・・・・・・実は・・・・内緒で買い食いしてます・・・・・・・・・
今日で 辞めます・・・・・・辞められたら・・・・・・・

もう ここまで来ると 好きな事して短い人生  我慢して長い人生  どちらが幸せなんだろう。
できれば 好きな事していたい。

そんな3月の末になって ネットで航空券の3月末までのディスカウントセールが開催されていました。 思わず大学病院に電話して 

私   「すいません、5月の手術日まで海外行きたいんですが、手術日決まりました?」
看護婦「一応 先生に聞いてみます」

看護婦「先生に聞きましたら5月の手術日はまだきまらないとの事です 4月26日の診察まで
     未定です」との事

まぁ 当然と言えば・・・・・と う ぜ ん

でも、行きたい・・・・・・・・・

ハノイの友人にメールして 遊びに行くぞと連絡したもんね。3月末までに連絡来れば 行ってこようと思う。



2016年3月4日金曜日

ダイエット入院中

2月27日から3月2日まで、タイや中国経由で暴飲暴食しながら3日に入院した。
こんな事して本当に大丈夫なんだろうか? まぁ 大丈夫だよと自分に言い聞かせてみた。

大学のI先生から「腎臓癌の手術までに体重を減らせ それも20kg・・・・・・」
自力では無理なので 以前 お世話になった病院に連絡して入院する。
一月からお世話になって癌手術の為に退院したが、手術の成功率を上げるために再度舞い戻った病院の看護婦さんから「おかえり」の言葉でなんだか嬉しい気持ちと その間に知り合った人が数人に減って 退院しており寂しい気持ちと 複雑な気分を味わったが 家にいるよりは十分精神的にはリラックスできた。

一応3月3日現在の 私のスペック 体重106kg(三週間前まで99kg) 身長171cm 高血圧 睡眠時無呼吸 更に糖尿2型 高度肥満と 成人病のオンパレードです。

早速 昨日から 入院して午後には運動をする 専用の指導員(フィットネスジムの先生)に「癌治すのに20kg痩せなきゃいかんのよ」と言うと トレーニング内容を 筋肉の運動を 週二回 有酸素運動を毎日のメニューに直してくれた。

嬉しい事に 退院後、暴飲暴食だったので入院2日目で106kgから103kgに あっと言う間に痩せたが、毎日の空腹感に耐えながら2ヵ月過ごすのは 大変だなと2日目で素直に思った。

はたして4月26日の大学病院の再検査、診断までに2cmの腫瘍の大きさや転移はしてるのか?少し不安もあるが デブで手術失敗するよりはましかなぁ? 等と思っての今回の決断。

先生の言う通り なめてかかって 一生の後悔となるのか? 痩せて 手術が上手く成功するのか?

ちなみにダイエットの病院には 「手術日が決まらないので4月まで痩せなさいと言われました。」とだけ話しておきました。

2016年2月26日金曜日

現在の状況までの経過

1  ・1月にダイエット入院したら Ⅱ型糖尿病との診断で長期入院決定

2  ・その際に受けた脂肪肝のエコー検査で腎臓に腫瘍発覚

3  ・近くの総合病院にてCT検査

4  ・更に造影剤を使って 検査

5  ・2月1日に 先生より「急いで他の病院で手術してください」と言われる

6  ・2月10日に退院して2月16日に地元の大学病院にて診察、「これはほぼ悪性だが、まだ初
   期段階」と言われ安心する。但し「手術前までに痩せなさい」と言われる。

7  ・「4月1日に手術ができる」と言われたが、5月にイベントがあるので 軽く拒否する。
   (理由として4月1日までに体重を減少できな事もあり・・・)
   「そしたら、5月の手術は現段階では予約入れられないので とりあえず経過観察で・・・・
    それまでに痩せてください」と言われ 1月入院した病院に再度入院する事を決めてた。

8  ・4月26日に検査の予約を入れて ばっちり2ヵ月 入院する事にして 目標20kg痩せる
   ついでに睡眠時無呼吸も治す決意を固める。


担当の先生から、この病気を甘く見ていて 悲惨な結果になった方を見ているので くれぐれも 注意して 仕事も理解できますが、体を第一に考えてくださいと言われた。
でもね 初期だから少し 安心しています。 あと まだ47歳だけど 結構好きな事して生きてきたので ここで余命宣告受けても 多分大丈夫な気もするんだよ。あくまで初期段階だと言う安心感があるので言える事です。
本当に ガンで苦しんでいる人には「ごめんなさい」 このブログは自分の記録用なので、気にせず読まないでください。本人は少し ゆがんだ性格してますが 正直な 感想なんです。  嫁や子供がいるわけでも無いし、現在 仕事も無しに近い状態だし・・・・・
あーあ なるようになるさ  なんて考えてしまう訳です。
でもけして 悪くなる為に手術を延期しているのではないのです。リスクを考えて 今の100kgを超える体重BM138を下げなきゃ、脂肪と腎臓が癒着して かえって危険な手術になるのではないか?又、高血圧・糖尿病・睡眠時無呼吸症候群の現状で 手術が可能なのか?
4月1日までには絶対に症状はよくならないと断言できます。
何故なら2月10日の退院から今日まで4kg太りました。血圧も上昇中です。

さあ3月3日から 入院して どこまで良くなるかわからないけど やるだけ がんばります。

2016年2月24日水曜日

病院に行ってきました。

昨日 病院に行ってきました。
とりあえず、4月に入院するのは 私が5月に仕事があるので万が一長引くのが嫌なのでやめて頂いて 5月のゴールデンウィーク明けにお願いしましたが、まだ 先の予定は決まっていないので 4月26日に再度 病院で診察して その後 手術日が決まり必要な検査をするそうです。

先生には それまでに「20kg痩せろ」と言われた。

更に糖尿の血液検査の数字も悪化していたので「食生活を気を付けるようにとも」

最後には「仕事よりも 体の事を一番に考えるようにと」言ってくれた。

2016年2月22日月曜日

朝病院に電話した。

本日 11時頃まで先生から検査日の電話が来るのを待ったが、かかって来ないのでこちらから病院に電話した。
大学病院の泌尿器科につないでもらってI先生を指名するものの本日はお休みとの事、

私  「金曜から電話いただき、昨日 I先生より再度電話を頂き 4月1日より入院・その為の心臓
    の検    査が必要との事で今週検査をする旨、但し 昨日は今週の検査日の日程もいた
    だかずに電    話が終わったので日程を教えていただきたい旨 又手術の希望日は5月
    の連休明けを希望している旨」を伝えた。

看護婦
    「本日 I先生はお休みなので 違う先生に確認して電話します」との事

数分後電話がかかってきました。

看護婦
    「では申し訳ありませんが、今週か来週にでも・・・」
私  「では今週、明日はどうでしょう?検査も大丈夫ですか?」
看護婦
   「結構です、但し手術について説明してから 必要であれば検査になります」

まぁ これで昨日からのモヤモヤは少し晴れた。

2016年2月21日日曜日

電話がきた

昨日 大学病院に電話したが繋がらず、月曜日に電話しようかと考えていたら 朝 電話が鳴った。
父親から受話器を受け取り、担当の先生が少しどもり気味ながら話してきた。

先生 「すいません。入院予定日の件ですが4月1日に・・・・・」
私  「わかりました。ところで昨日 電話したのですが、つながりませんでした。又 自宅ではなく携
    帯に電話してください。おかげで予定が狂います」
先生「わかりました。ところで心臓の検査をするので 今週いかがですが?」
私  「いいですよ。 予定が決まられないので・・・・日程を早く 決めてください」
先生「では 今週はじめにでも・・・ そして3月11日麻酔の検査して、3月30日入院して・・・」
私  「ちょっと待ってください、4月1日じゃないんですか?3月30日じゃなくて、4月1日にしてくだ
    さい」

なんだか少しかみ合わない。

私  「もともと ゴールデンウィーク明けを希望していましたよね」
先生「そうですが、3ヵ月経過すると最初から検査をしなおしですので、ゴールデンウィークの手術
   ですと 今は予約がとれないので・・・・・・・」
私  「それでもいいですから」
先生「わかりました」

ーーー途中省略ーーーー

そういった内容の会話で終わった。 昨晩は気になって、ネットでググって 何か問題があったのか?最悪な場合は・・等々 想像して嫌な気分を味わっていたのだが、この程度の腫瘍なら大した事ないので内心 すごくホットした。
しかし、肝心の心臓の検査の日程を決めてくれない事に受話器を置いてから気がついたが、連絡先は判らないし、どうしよう?

2016年2月20日土曜日

病院から電話が・・・

親父から朝「昨日 病院から電話があって今日電話しろ」との言伝を受けたが・・・・
今日は土曜日  電話をしても大学病院は繋がらない。
ようやく 管理人室のような所に繋がったが、「休み明けに電話してください。」との事で
ただ単なる 単純ミスでなのか?緊急を要する事案なのか 何だかもやもやとしています。

昨晩 飛行機のチケットを覗いていて 今日発のバンコク行きにでも乗って 10日位 貧乏旅行でもしようかと 考えていた矢先に こんな消化不良の事案が発生してしまった。

なんで先生は今日 休みなのに「明日 大学病院に電話してください」なんて電話したんだろう?
なんで 携帯に電話しないのだろうか?  大体、前回の診察で散々、私の体重が手術に対して邪魔になるような事を言って、減量の必要性を語っていたのに、過去の痩せている状態の体重を勝手に現在の体重と勘違いしたまま その後検査にまわすような病院で その後も診察の紙を覗いて体重が間違っている事を指摘したにも関わらず、検査に回されてその都度「体重は○○kgですか?」と看護婦に確認される度に「今はこの体重ではありません○○○kgです」と答えていた。一向に訂正されず はたして大丈夫だろうか?と思っていた矢先に今回のような事案発生。

こんな初歩的な所のミスを犯し続けるような医者に腹を切らせていいのだろうか?
肺がんで亡くなった 大学の恩師も「いいか、大学病院だけでは絶対 腹キルナ、奴らはただの実験台くらいにしか思ってないぞ」と、「これは俺の遺言だ」言われたこと思い出してきた。

もう 病院変えようかな?


2016年2月16日火曜日

とうとう癌患者になりました。

本年1月8日に高度肥満で長期入院して痩せるつもりだったのが、病院で2型糖尿病と診断されて更にエコー検査で腎臓に腫瘍が見つかってCTを撮って悪性腫瘍が判明したのが、2月の1日、先生からは ここでは無理なので直ぐに他に転院してくださいとの事、地元の大学病院で受けたいとの希望で本日 無事に大学病院で「右側の腎臓癌」の診断を受けました。

2cm程度の腫瘍な事、事前にネットで調べていたので 特に慌てる事もなく すんなり医師の話を聞いていましたが、 「肥満があるので、内視鏡での手術は無理との事、4割程度を摘出して6割残す予定だが、脂肪が多く 癒着した場合等 最悪全摘もあるとの事だった」 入院期間も最短10日程度だが脂肪が多い人は合併症もあるので 長いと1ヵ月との事。
次回は3月11日に麻酔の検査を受けてから入院日が決まるとの事だった。

今日は弟に「腎臓癌が見つかった」と報告した。